(0=0的な連鎖と循環の挙動)
20260608
改札の流束に倣う数歩手前で立ち止まって、振り返っていた。今日あの子と目が合ったのはこれが初めてだ。私は行動に移さない程度に時間を気にしながら、目をそらしてその話を聞いていた。
「無から行為を選択している人間は存在しないんだ。」
「たぶん、運から独立した自由意志や行為は存在しない。一瞬も欠かさずそう思っているわけではないし、あらゆる選択に際して必ずそれを考えることになるわけでもないけど、「運から独立した自由意志や行為は存在するか?」と聞かれることがあれば、それがいつであっても、僕はきっとNoと答えることになる。
極悪非道の鬼畜でもその選択肢が浮かんでしまえて実際に選択してしまえるほど育ちや生まれの運が悪かったんだねと思うし、そのまま死刑になるならそのまま死刑になる育ちないし生まれ等だったんだからそのまま死刑になるんだね、自由に外に出られる才能がなかったんだねと思う。
犯罪者でない人間はすべて運が良かっただけだ。
死刑になりそうだったけどなにかしらの正しいか正しくないかもわからないようなことを主張して結果死刑にならないなら、最初に設定されていたのが「死刑になりそうなことをするがなにかしらの正しいか正しくないかもわからないようなことを主張して死刑にならないような結果が相互作用によって得られる行動を選択するように育つ」パラメータだったんだねと思う。冤罪被害者も運が悪かったんだねと思うし、全ての力を振り絞り徹底抗戦してやがて正義を勝ち取ったならそこで諦めない選択肢があってそれを選んでそれが運良く実際に結果を得られる選択肢であるような育ちおよび生まれ等だったんだねと思う。つまりもちろん、すでに自分の思考が自分の制御下にないことは、そこで眼前の状況をすべて受け入れて諦めろということを意味するわけではないよ。いうまでもなく。
責任は生物が集まって社会を構成するにあたって初めて必要になった人工物だ。世界の本質ではないかもしれないけど、誰かが社会を維持するのに必要だと言っている。僕もそれに納得して承諾している。だから罪人をときどき殺すことになるし僕はそれに反対しない。それが少なくともいま「社会」が意味しているようなタイプの社会の維持にとってある面で合理的だから。殺さなければ次の日から謎の内省によっていきなりある結論に至り、とんでもない善人になって社会に多大な貢献をするかもしれないけど、殺さないと殺すが同時に存在することはできない。どっちを選択してどっちを選ぶか考えることとそれを考えないことも同時に存在できない。そんな唐突に行動様式が転換しうるパラメータをしている人間がそんなにいるとも思わない。無から行為を選択している人間は存在しないのだから。無数のものからひとつ抜き取って親の教育のせいとすることもできるかもしれないけど、親がその教育を施すに至るにあたって、親がいきなり発生して自分の思考様式を自分で決定したわけではない。親自身の歪みもなんらかの「本質(仮)」によって強制的に形作られたものであるから。
だから後悔をあんまりよく理解できていない。思いつかなかったことは思いつきようがないんだし、過去において、できなかったことをできる未来があったことなど一度もない。思いついたうえで選ばなかったならもちろん悔しくないし、選ばなかった時点で選ぶことを決定することを思いついていないんだからやはり後悔のしようがない。最善を尽くした場合に後悔のしようがないのはいうまでもない。思いつくか思いつかないかを決定する因子は僕が設定したものではない。環境や遺伝子、非制御の出会いや出来事が決定する。人間のあらゆるものがそう。特定の行為をする人間は、その祖先が生まれた瞬間よりもずっとずっと前にその人間が行為をする人間になる条件が揃っていない場合には発生し得ない。僕たちは現実に行うこと以外を実際に行う力がそもそもないんだ。
もし、もし未来に向けて僕が努力の類いをするならそれはそれが現実であることでしかなく他がそれになることもないし、その努力のおかげで何かを得たり失ったりするのも現実に行うことを行なっている以外のことじゃない。もししないなら、しない。同じ間違いを繰り返さないように気を付けるようにすることがあるかもしれないけど、それを決定する人格の形成はやはり運によって形作られたものであって、その反省が役に立つ状況が現れるか否かを決めるのも自分自身ではない。”最初からあらゆる結果そのものが完全に決定している”とは思わないけど、その決定を得るためのパラメータはすでに世界にそろっている!
だからこの視界にあるのは実は「反省によって学ぶ」ではなく、『反省によって学ぶ』だ。僕はまだみたことがないがきっと外のどこかにまだ鉤括弧があって、反省を選び学んで次に活かすこと自体もその鉤括弧に含まれている。あるいはこの視界をちょうどそれだけ包摂している漫画のコマの枠がある。僕たちがそれを認識できることはないけど、本来はその内面を成立させたものにまで遡らなければいけないし、内面を成立させたもの以外が何かを新しく自己制御することはない。努力や反省をすること自体とその影響自体が初めから自身の制御下でない「結果を導くもの」に含まれている。実行のログとしていわゆる〈意志〉とされるような特定の傾向はみられるかもしれないけど、それはログ自体が自ら行為を決定しているわけではないよ。社会が人を殺さざるを得ないとしても、僕は彼らの過去としての存在を赦すことができると思う。僕はそういうふうに生きてきたんだ。たぶん。」
「あるいはそれを運が悪いと呼ぶのも正しくないのかもしれない。本人が不幸になるようなパラメータが。」
「だから結局誰しもが好きにすればいいし、誰しもが好きにしなくていい。そこに違いはないんだ。辿り着く場所以外には辿り着かない。もうわかってるから言わなくてもいい。」



