なつやすみの日記

20250831

 実のところは知らないが、日の出ている時間に外に出られそうな気分になったのも、なんだかもうずいぶんと久しぶりな気がしてならない。ああ、外か、外ね、たぶん、たぶんべつに外が嫌いというわけでもない(まあ好きでもないけど)のにも拘らずそう都合が合わなかったのは、おそらく、この予測不可能な睡眠がそれを曖昧に禁じてきたから。どのくらい予測不可能なのかというと、睡眠時間は大体2秒から15時間程度、睡眠開始時間は 00:00~23:59 のあいだといったぐあいで、とくに予定もなければ、1日の睡眠回数や夢の視聴回数も完全なランダムである。いまここでどれだけ眠気が強くとも、この瞬間以降の睡眠の安寧な実行性はまったく占えないし、微小な眠気に気がついたときには、もう睡眠を終えているかもしれない。つまり、僕に係る睡眠予報士という職業は明確に成立し得ないのだ。もし予測可能であれば先の就活において志望先として検討することもあったかもしれないが、予測不可能なのだからしようがない。そんな職業は存在し得ないのだから。結局外には出なかった。なぜなら暑いから。

 さて、前回そこに行ったのは十数年前、もうほとんどなんにも覚えていないようなところでした 結構遠いのもあって、親戚と会うという体験自体も新鮮に思われました
 風景がとてもきれいで、犬がよかったです めっちゃ寄っかかってきてくれたりしてね たくさん撫でました だんだんと、昔から動物に好かれやすい体質だったような気もしてきました かつて新聞配達中に撫でさせてくれた猫の感触を思い出して、いまこれを書いています

 遺影を見ました 家系図をみると当然ほとんどの人は死んでいるし、生きていても、同世代の非常に近い関係の人がどんどん死んでいっているという状況にある人も多いです 10歳にも満たないうちに死んでしまった人も多いようです(時代もありますからね) そんなこんなで、ひとは死を意識せずにいられるわけがないですね もちろんそうせずにいて欲しくもないですし、悪いことではないです
どこかでみんなやり残したことがあったはず あるいはあるはずですね それも当然

線香の香りは結構好きです

 これを正確に記述しようとするなら、 晴れた草原のなか 涼しい風が背中のほうから吹いてきていて、その風に体重をかけてもいい気がする どうやら風はずっとずっと昔から吹きつづけていて、わたしたちの先祖は代々それに生きて死んできたみたい その灰も、向こうのほうでとくに意味もなく吹かれているみたい  みたいな気持ちで
だれかにとっては至極当たり前で、まったくなにを今更という話なのかもしれないけど、そのときしっかり触れた光陰の矢みたいなもののさわり心地を、いくつかの意外性をもって覚えています 結構やわらかかったです

 家系図はとても重くてとても良い 100年って長そうにしといて一瞬で過ぎ去ってゆくのでびっくりする 100年は一瞬だから、じぶんが関わる記憶や記録というのは世界からすぐにほとんど消え去ってしまうことがわかる だからここにあるのは今 過去のくだらないものものに目配せしてたらその隙にみんな死んでゆくね さて、ここでクイズ 100年より鋭く鈍く身に染みるような無窮の苦痛は一体どこへ行ってしまうんでしょうか 脳内時間の流れかたは一定じゃないんだ この天秤はひどく気まぐれで 1年より長い1日も、ほかの何よりも重い夜もきっとある それはどうやら明けないほうの夜らしい 
なんたってこころがよわいからね とっても

 それはそれとして、所定の一夜がどれだけ長く軋み続けようと、文字通り目も開けられなくなる各種の頭痛や穢らわしいことこの上ない自罰の連鎖も、おいしくならないものものも あと1000年もすれば辛うじて残ったらしい瀕死の影からもするりとこぼれ落ちてゆくこと そうして、あらためて通しで見れば、やっぱり暮らしなんかすぐに終わってしまうこと 全部全部、大いなる流れから眺めてみるととても些細なこと
 そこでどっちが優越するかはひとそれぞれなんでしょうね やることもやらないことも大して変わらないから 生きがいにならないものが生きがいになるわけでもないから 苦しいものが苦しくなくなるわけでもないから ひとそれぞれ それで十分 他人は人が人の良心や誠意以上の範囲で知ったことでは全くないし、お互いにそう 人助けは内部の要請に駆られてするものだね

 人はみんな死にます 帰るべき場所が思いつかないなら、そこはそれです そしてその時間にも大した差はないというわけだし、もういつでもいいでしょ もういい でも、できればキリがいいほうがいいかもね あと綺麗なほうがいい あと、あとなんだっけ、それで?

 些細なものからひとの人生が垣間見えた 大いなるものの中にある、悲しみを含むいくつかの気持ち それはあらゆるひとの人生に共通していて、しばしば支流が巡りあって それを遠くからみるとまた大いなるものを構成しているのがわかる、みたいなね
今の時期このへんの風は湿度が高くてあんまり気持ちよくないですけどね だから冬になったら起こして欲しいです 好きなだけ風に吹かれようと思います 生活はたまに風邪をひくくらいがちょうどいいですね

あと犬がよかった


 8月 死んでるひとも生きてるひともみんなお疲れ様でした
 僕はまあふつうかな 明日からも気楽に生き死にしていこうね〜〜


 読めていない本が積んである。このまとまりをなんと呼ぶべきなのかがはっきりしない。山というほど頂点らしいものはないし、塔ほど高くもない。ただ本がいくつか重なっていて、その集団が棚の上や、不釣り合いな奥行きのせいで妙に空いた手前側の空間に散在している、とにかくその集合体がいくつかある。その背表紙の列は揃っているようで少しずつずれている。たとえばこの積層でいうなら下から三冊目が特にそうだ。近くに並ぶ似たかたちのものと比べると、向かって右側がこちら側へと少し張り出していて、逆に上から二冊目のそれは左側がやや近い。だからこの葉理は直方体ではない。しかしそれを構成する一冊ごとはほとんど直方体だ。それが縦に積まれている。とはいえ、まだ読んでいない本であることを考慮すれば、やはり全体で一つの塊であるとしてみるのが自然だった。その感覚は部屋が暗くなればなるだけ、一層強まっていった。

 そのまとまりの輪郭のひとつがだんだんと背景に滲んでいって、たびたび揺れているようにも、揺れていないようにも見えた。音はなかった。影は深まったかと思えばすぐに浅くなり、詳細を確かめるより先に形そのものが別のものへと変わっていった。その形容が追いつく前に、視線の方がそこで途切れた。