趦揚

20250219

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 《宗教の本質は制度等権威ではなく在り方の構築と感情の依存、そしてしばしば共同体──内省のできないほうの教養人がイメージするような邪悪な副作用はまったく必要ではありませんでした 神はおろか実践すら必要ではありませんでした 倫理規範と生活の光、その源としての再定義をしましょうか

 ふたたび目を瞑って歩きはじめて、しばらくして、わたしはあの香り | それを感じていましたが、いたはずですが、

 いまはいくつかの時間におけるその光景らしいものが、残る熱からぼんやりときこえるだけです
たとえば、木陰の晬徑

 啓蒙主義の克服 いま明察されるべきことはそこにない かといって至るべきは敬虔主義でもないです 具体的な解決を放棄して祈りに任せるのもあるべき信仰ではないです 人間の救済願望がある限り世界に宗教は必要であり続けるかもしれません 演繹的に導出しようがない秩序原理の直観か、信条の応用に長けた人物が従来の聖職者てき立ち位置に抵ります それは頭の良いひとかもしれません

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自覚とは?

 だから時間の在る生活とはじぶんの宗教(広義:道徳とか)を構成・実行していく営み・試みであって ⁘守るべきものを守ること 
救いを自身の内部に求めること 観照

 けどそういう「自然発生的な個人の宗教」は共同体との相性があんまりよくないです(自己犠牲を重んじるなら、それを他人に強いることはできませんね) だから既存の宗教はじぶんの宗教を構成しないひととか、共同体が必要なひと向けのものとしても解釈できます 生きられないときとかね

 ただ、できるなら、じぶんの宗教、あるいは信条は、じぶんひとりの手で苦しみながら作り上げて、ときに苦しみながら更新してゆくべきでしょう それが個人の幸福に対して最適解でなくとも、きっとそうすべきでしょう それがあるべき生活ってものです
 もし幸福が人生のすべてなら、多くの嘘をつくなどして、さっさとそういう薬でも飲み干して、できるだけ酩酊状態であり続け、そうしてすぐに死んでいくべきではないですか?真摯な努力を重ねて得た幸福は、きっとヘロインやメタンフェタミンひとつのそれに遠く及ばない。
でもそうはしない。みんなきっとそうするべきではないとわかっている。そのだれかにつまらなくないような信仰があるのなら、そうされていくんだろう

 内部以外の強制によって個人の構築が制限されることがあってはならない いつか、ひとがそういったあるべきでない状態から抜け出す際には、あるべきでない外部の強制に歪められた生活を、例の構築を通じて新しい体系として止揚していくことになります 凡ゆる経験もね みんなも間違えるから。

たとえば

 だから、哲学ほど重大なものもあまりないと思います いわゆる理性が優越しすぎてもきっとなにかを見落としているし、感情が優越しすぎても当然非本質だ 十分な理性のもとでそれを連続的に改修して、それが直観できるようになるような純粋感情の鍛錬、とでもいうべきものが必要なのではないですか 善/好/佳/快/よく生きて死ぬ為に

遠くへ  》


寐縫を重ねていくうちに、
編みあがる生活のむなしさのうちに